人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

私の戦後史(1)

昭和20年(1945年)太平洋戦争は、終わった。

私は3歳。

そのころ、私の家族は住んでいた高松市の家が空襲で焼かれ、母の実家の離れを借りて住んでいた。

母の実家も伯父が戦死して、農業をしたことのない伯母は、農業に従事し、大変な時代だった、と思う。

父は、母の実家の持山を開墾してサツマイモを作っていた。

母は、母の義姉と、私の祖父の間に立って、気苦労が絶えない毎日であっただろう。

 

小学校には昭和23年(1948年)に入学した。

履物は日常、靴でなく下駄であった記憶がある。

その年の5月3日が、日本で初めての憲法発布記念日であった。

 

この憲法Wikipediaによると、

戦後の1945年10月9日に、幣原喜重郎10月5日東久邇内閣総辞職を受け内閣総理大臣に就任。

マッカーサーに新任の挨拶を行うために連合国軍最高司令官総司令部を訪問。

マッカーサーからはポツダム宣言に沿って憲法改正を行うことの要求された。

この後もマッカーサーとは1946年1月24日に会談。この会談で幣原は平和主義を提案、皇室の護持と戦争放棄の考えを述べたとされる。

1946年2月22日GHQ側から渡された憲法草案の受け入れを閣議決定。(引用終わり)

 

そして1946年11月3日、皆様もご存じのように、公布され、翌年5月3日発布されている。

 

小学1年生の私たちに、担任の先生は、5月2日

「日本の戦争は、終わりました。これからは平和な毎日が来ます。日本の国は、軍隊を持ちません。それを決めた、憲法が出来た記念日です。」

と話されたことを、今も鮮明に覚えている。

本当の意味を理解で来たのは、中学生になってからだろうか。

 

そのころ、太平洋戦争により、戦費を多く使った日本は、戦後、深刻なインフレに見舞われている。

小学校へ入る前、油揚げ1枚の値段は銭の単位だったと思う。

昭和25年には1枚5円だった。

 

従兄が「お小遣いが1円を超えた。」と喜んでいた。

貯金箱に1銭玉が100枚余り入っていた。

 

昭和25年、母が電気代を集金人に10銭札で払おうとした。

「こんな細かいお金で電気代を払おうなんて」と集金人に突き返された。

母は怒って、「政府発行のお札を貴社は受け取れないのですか。」と講義の葉書を四国電力に送った。

四国電力から社員さんが謝りに来てくれた。

 

GHQの緊縮政策で、日本のインフレは、抑え込まれたが、朝鮮戦争が勃発することで、日本の経済は立ち直ったように考えられる。

 

日本には、敗戦で平和がやって来たが、お隣の朝鮮半島では、当時のソ連に支持された朝鮮民主主義共和国とアメリカに支持された大韓民国が建国され、両国の間で朝鮮戦争が始まった。(1950年)

 

この頃、日本を「戦争をしない国」にしようとした、アメリカのトルーマン大統領は、日本支配の方向を、成立したばかりの中華人民共和国ソ連に対する、防共の砦にするべく、日本統治の方向を転換した。

 

マッカサーはトルーマンに解任された。

北朝鮮をどうやって攻めるかについて、意見が違ったからであった。

 

日本が本当に平和であったのは、1949年までである。

その後、日本は警察予備隊を持ち(朝鮮戦争でいなくなったアメリカ軍の穴を埋めるために作られた)、自衛隊を持つようになる。

 

そして、今の憲法があるから、日本国は徴兵制になることを免れているように思える。(続く)

(息子が加筆修正しました。)

リュウキュウアサガオ