人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

海辺の漁師町にできたプール

私が育ったのは、半農半漁の村であった。

小学3年生の時、その村に引っ越しした。

最初に住んだ家は、家を出て、50mほど歩くと、海であった。

日常の瀬戸内海は、穏やかな海であった。

海岸は、石ころばかり。

それでも、小4の夏、その海岸で、夏休みの間、毎日、海に入り、平泳ぎが出来る様になった。

 

夏休み前、町内の一地域にある、海水浴に適した海岸で、小学校でも中学校でも、水泳教室が開かれていた。

 

夏の夜には、漁師さんが漁火を焚きながら、イワシ漁をする。

海岸から見る漁火はきれいだった。

このイワシは塩ゆでされて乾かされ、煮干しとして出荷されていた。

 

時代は流れ、私が社会人となるころ、この村の沖では、ハマチの養殖をするようになっていた。

子供の頃、泳いでいた海岸は、「海が汚れている」という理由で水泳禁止になっていた。

赤潮が発生しているとのことであった。

海水浴に適した海岸は町外れで、不便であったが、私が子育てしていた頃は、夏休みに帰省して、子供たちを海水浴に連れて行けた。

 

「この村の小学校にプールができた」と聞いた時、驚いた。

観光客が水泳に来るような村では無いけれど、村人で泳げない人など一人もいないであろう。そんな村だった。

魚も美味しい、香川県を代表するような、海辺の村だった。

 

日本は、戦争に負けた貧しい国であったはずである。

その後、高度成長をした。

有り余る税金を使うところが無かったのではないか。

 

食事も煮干しで出汁を取る人は減って、誰もがハマチ(ブリの子供)を食べるようになった。

 

税金の使い道としては、整合性が取れていた、と思う。

現在、故郷の村である引田地区では、子供の数が減って、小中学校は1か所に集約されているという。

新しい小学校と中学校には、また新しいプールが作られているだろうけど。

(息子が加筆修正しました。)

ゴーヤ