30~40代の時は、なんでもなくできたことで、80歳を超えた現在、できなくなったことが多い。
まず、歩くスピードが落ちた。
同年齢の中で、一番、遅いのではないか。
腰痛があり、かばいながら歩くのと、喘息があり、坂を上がるのが大変になったから。
でも、「歩ける。」ことは、有難い事だ。
だから、身の回りの事は、自分でできる。
次は、耳が聞こえなくなった。
今年、「耳が聞えない事。」で障害者6級になった。
もちろん、補聴器はつけている。
しかし、マスクをしている方と話すと、声は聞くきとれるものの、言葉は聞き取れない。コロナよ、早く終息してほしい。
繕いをしようとすると、針の穴に糸が通らない。
一番、針穴の大きい穴に、ミシン糸50番(とても細い糸)の白なら、かろうじて通る。
幸いなことに、息子のジャージの繕いくらいは、まだ、なんとなる。
徹夜ができなくなった。
面白い本があっても、翌朝の事を考えて、どんなに遅くても、午前2時には、眠ることにしている。
数字が憶えられない。
電話番号を見て、その番号を30秒後に、他の人に伝えられない。
明らかに、記憶力が落ちてきている。
そして、判断能力も落ちている。
確定申告書の作成はできるが、最終確認を息子に頼むようになった。
掃除機をかけることができなくなった。
我が家は、ルンバを使えるほど、断捨離は進んでいない。
現在、カーペットの上は、コロコロを使って掃除をしている。
最近、団地内の道路に減速帯が付いた。
段差が出来たので、自転車に乗るのが、怖くなり、自転車の処分をした。
怖くなることは、まだまだある。
母が亡くなるとき、「老いる」とは、大人から赤ちゃんに戻ってゆくことだ、と思った。
現在、私も、赤ちゃん帰りが始まっている。
それに、どれだけ、抵抗できるか、これが、これからの私の目標だ。
自立して生活することが、私の目標。
アザミ