私と一緒に住みたかった母、「本当に、申し訳ない。」と思った。
兄妹の中で、一番かわいがられたのに。
それでも、母は、介護施設に慣れてくれた。
しかし、ある日、ベッドから落ちて、頭を打ち、硬膜下出血を起こし、手術を受けた。
入院10日間。
ベッドから下りない10日間。
車椅子が必要になった。
そのころ、2週間に1回、母に会いに行ったが、会うたびに、母は自分の記憶を失っていった。
まず、父のことを忘れた。
そして、祖父のことも忘れた。
私が、結婚して、子供がいることも、忘れた。
「今度、退院したら、さぬき市に帰ろう。(母の生まれ育ったところで)〇〇(私のこと)と二人で暮らそう。」とよく言っていった。
次は、食事が飲み込みにくくなった。刻み食になり、さらに、お茶にまで、トロミをつけるようになった。
訪ねてゆくと、うれしそうな顔をして笑ってくれる。
その頃は、言葉をすべて忘れたのだろうか。
話をすることはなかった。
私が、母に食事を食べさせると、すべて食べてくれる。
介護士さんは言われる。
「いつも食べながら、眠ってしまうのに。やはり、娘さんの顔を見るのは、うれしいのやろな。」
母は、赤ん坊に帰って行っているのだ、と思えた。
介護施設に入所して、3回目の冬を間もなく越える頃、母は発熱して、入院した。
耐性菌による尿路感染症であった。
そして、母は帰らぬ人になった。
父も母も祖父も私のことを可愛がってくれた。
本当に、私は恵まれていたと思う。
だから、大人になって、人生につまずくことがあったけど、それなりに生きて来ることができたと思う。
そして、今の穏やかな生活ができるのだろう。
アオイの花