人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

母のこと(3)

祖父も父も、長患いすることなく、介護の必要もなく、体が衰えると、すぐに旅立って行った。

 

母が一人暮らしを始めたころは、近所に友人もいたし、電話の声も元気そうだったし、1年に2回、帰省するだけであったが、子供たちも社会人になるころは、1か月に1回は、大阪から、香川県に帰省するようになっていた。

 

母はいつも言っていた。

「〇〇、何も心配することはない。体が弱れば、隣町の県立病院にかかればよい。入院しても1週間から、1か月で、終わるでしょう。私は、長患いすることは、ない。

困るのは、この家(私が育った家の建物)と残った品物、これは、迷惑をかけるかもしれない。」

 

母は、祖父が残した骨董品などは、ほとんど、処分していたし、家の中は、かなり、断捨離されていた。

家と土地の名義も、私と子供たちに、生前贈与されていた。

 

しかし、私が帰省すると、実家の近所の人が、「あなたのうちの家の電話番号を教えてください。もしもの時に、連絡してあげるから。」と言われ始めた。

 

次の異変は、母が「泥棒が来る。」と言い出したことだった。

その少し前、母は慢性下痢をして、身体が、かなり弱ったが、再び、回復し、近くのスーパーへ行くことができるようになった。

 

携帯もない頃である。

日時を決めて、母に電話をすることにした。

さすがに、私も、母の体が弱って来るのを、感じずには、おれなかった。

ところが、約束の時間の10分前に母から電話がかかって来るのである。

「1時間以上、電話を待っているのに、まだ、電話がかかってこない。〇〇(私のこと)は、交通事故にあって、入院しているのと違うか。」

これは、さすがに、おかしい。

 

次の帰省の時、母のかかりつけ医に、母のことを訊きに行った。

認知症が始まっています。施設に入るか、家族と同居すれば、生活できますが、

一人暮らしは、無理でしょう。」

 

夫と相談して、母と同居することにした。

実家の仏様、母の身の回りの物が、我が家にやって来た。

 

子供たちは、すでに就職して、家を出ていたので、母の居住空間は、昔の子供部屋。

四畳半である。

 

我が家は、その頃、夫が、退職していたが、前立腺癌の手術を終えたばかりであった。

さらに、株の信用取引に失敗して、負債があった。

私は、ドラッグストアで働いていた。

 

私は、朝、夫と母の食事の準備をして、家を出る。

家に帰るのは、夜七時過ぎである。

母は言う。

「朝食後、お茶を飲みながら、甘いものを少し食べながら、〇〇とゆっくり話ができると思っていたのに。〇〇が、こんな忙しい生活をしていたとは。」

 

友人もいない大阪。

デイケアに行ってもらうことにした。

母の送り迎えは、夫に頼む。

 

それでも、環境の変化がいけなかったのだろう。

散歩に行くと言って、デイケアのお迎えが来ても、団地のどこかへ行って、行く先がわからない。

「まさか、徘徊?」

何とか、母を見つけ出して、デイケアに行ってもらった。

 

夜寝る前に、母の下着を替える。

私が眠り入り、二時間ほどして、夫に起こされる。

「トイレが使えない。」

トイレの掃除をして、母の着替えをして、私は再び眠りに就く。

そして、さらに、二時間後に、また、夫に起こされる。

「また、トイレが使えない。」

 

母にも、誇りがあるだろう。

私が、母の下着を取り換えることが、母の誇りを傷つけるのだろうか。

 

私は、夫と相談して、我が家の近くの介護施設に空きがないかを調べた。

どの施設も、50人待ち、中には、100人以上の自然減がないと、次の人は入れない、という。

 

しかし、故郷の施設で、空きがあった。

母自身は、私との同居を続けたかったと思うが、私の体も続かない。

思い切って、母を介護施設にお願いすることにした。(続く)

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日々草