人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

祖父のこと(1)

祖父は、慶応3年(1867年、明治維新の前年)香川県高松市生まれ。

豊かな家では、なかったので、遠縁の医師の家の書生になった。

その家の娘さんと将来、結婚することを前提として、学費を出してもらって、医師となった。

しかしながら、その娘さんは、肺結核になって、亡くなったそうである。

そして、その家を出て、東京へ行ったとのことである。

 

東京で、祖父が何をして、(医師の資格があったから、働いて食べてゆくことはできただろう。)誰と交流して、どんな生活をしていたのか、何も知らない。

 

ただ、祖母とは、東京で知り合い、結婚している。

父が明治31年(1898年)高松市生まれだから、祖父も祖母も1890年代(明治20年代後半)には高松市に戻り、開業していたという事である。

 

祖母が、もともと、兵庫県たつの市出身だとか、昼から、お琴を弾いたり、キセルで、たばこを吸っていたとか、俳句の勉強をしたりしていたとか、という事は、父の妹(叔母)から聞いた。

金銭的には、豊かな生活をしていたのだろう。

 

東京に住んでいたころ、肺門リンパ腺炎になり、なんとか、回復したもの、その後、再発を恐れて、毎朝、冷水摩擦を始めた、とのことであった。

記憶の祖父は、亡くなる日の朝まで、洗面器に水を入れ、タオルをその水で濡らし、体をふいていた。(体をこすっていたのかもしれない。)

 

祖父も趣味に漢詩を作り、その和綴じのノートが、太平洋戦争後も、我が家にあった。

祖父が亡くなったとき、高松市立図書館に引き取られた、と聞いている。

 

その当時、電話が導入され、最初、高松市で導入された家という事で、当時の電話局から、通知をもらった記憶がある。

3歳まで住んだ家であったが、ラジオもあった。(当時、すべての家にラジオがあったわけではない。)

 

祖母は、1940年より少し前に亡くなって、父は、2回目の離婚をした後だったから、女手のない家。

祖父は、父の3回目の結婚相手を必死で探した、とのことであった。

その頃の我が家の生活は、すべて祖父中心に回っていた。

父と母は、1940年に結婚している。

 

母は後年「本当にいそがしい毎日だった。祖父の世話、たくさんの患者さん、食料事情が悪くなって、物は手に入らない時代だったし、サツマイモの蔓まで食べた。」とのこと。

 

1945年、高松市は空襲にあう。

そして、母の実家の離れ(香川県さぬき市)を借りて、一家は住むことになる。

我が家はもちろん、丸焼け。(明日に続く。)

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