人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

父の一生(3)

父は、東京に住んでいたころ、講道館に通っていた、とのことである。

テレビで見る柔道家は、体の大きい人が多いが、父は、中肉中背であり、

1964年のオリンピックを見たとき、

「体の大きいい人が、相手を押しつぶすのが柔道ではない。体の小さい人が、大きい人を倒すのが、柔道の技だ。」

と言っていた。

 

だから、年をとっても、体幹がしっかりしていて、目をつぶっての片足立ちもできるし、歩けば風の様に早かった。

 

煙草も吸わないし、アルコールも飲まない。

おやつも、ほとんど、食べない。

昭和30年代には、テレビも放送されていて、我が家にも、私が高校を卒業した年に、はいってきたが、テレビを見ていた記憶もない。

無趣味な人で、父のことを知っている人は、「なんと、無趣味な人だろう。人生何を楽しみに生きているのだろう。」と言われていた。

 

今、考えると、若い間は祖父に振り回された人生、母と私の3人暮らしになって、誰にも邪魔されず、自分の好きなことだけして、一人静かな時間を堪能していたのだろう。

 

70歳まで、非常に元気な人だった。

見た目に衰えはなかったが、70歳を過ぎると、高松の証券会社へ出かけると必ず下痢をするようになった。

そして隙間時間に体を横にするようになり、時間があれば、聖書を読んでいた。

 

父が72歳の時、私は、結婚して家を出た。

父が74歳の時、私は、息子に恵まれた。

「『僕は、一生、孫を持つことはないだろう。』と若いころ、思っていた。この年で、孫に恵まれるとは。」と大変、喜んでくれた。

 

結婚してからの父の身体の衰え方を、私は、大阪に住んでいて、知らない。

母の話によると、亡くなる3か月ほど前、肺炎になり、近くの県立病院へ入院したそうである。

入院する前まで、横になっている時間は、増えていたが、普通の生活をしていたそうである。

母は、嬉しそうに、「『二人とも生まれ変わった来たら、その時は、また夫婦になろう。』と約束したのよ。」と、私にささやいてくれた。

 

私が、父に会ったのは、父の亡くなる1週間前、「父に会いに帰るように」と、母に電話があり、娘を連れて大阪から東かがわ市に帰ったときであった。

入院中の父は、娘を見て、非常に喜び、お土産に買った菓子をおいしそうに食べてくれた。

 

父の亡くなる朝、父は、母に

「長い間、世話になった。ありがとう。今夜、僕は、お陀仏になる。」

と言ったそうである。

母はむきになって否定したそうであるが、父は「いや。」と言ったきり、返事はなく、その日の夕方、静かに息を引き取ったそうである。

78歳であった。

 

父は、社会的には、成功した人ではない。

それでも、その時その時の人生を懸命に生き切った人だったと思う。

いい父に恵まれた思う。

今も、私は父を尊敬している。

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