人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

聴力が落ちるまでと落ちてからの生活

昨日は、耳鼻科の定期健診。

私は、若いころから、眩暈を繰り返し、眩暈のたびに聴力を落としていった。

健康診断で聴力検査を受けると必ず

「耳鼻科で精密検査を受けてください。」と言われた。

それでも、電車の中で隣の人に話しかけられて聞き取れないことがある以外は、生活に不自由はなかったから、耳鼻科にかかったことはなかった。

 

経済的事情もあり、70歳までドラッグストアで働いた。

しかし、お客様の言葉が聞き取れず、聞き返すことが多くなり、「これでは、使い物にはならない」と思い退職した。

 

時間的余裕が出来たので、耳鼻科で検診を受けた。

「眩暈のたびに、診察を受け、副腎皮質ホルモンの点滴を受けておけば、これほど、聴力を落とすことはなかっただろう。」と言われた。

仕事が忙しく、休めば生活が成り立たたず、眩暈が収まれば、普通に生活できるので、診療は受けなかった。

左の耳は、耳小骨が変形しており、障碍者レベルの聴力、右側は、イソバイトという耳の内リンパ降圧作用があるという液剤を処方された。

しかし、結果ははかばかしくなく、その医師の紹介で、右側の耳に補聴器を装着した。

 

町を歩いて、町中は騒音が、けっこう大きいものだと、思ったことも懐かしい。

 

しかし、その後、夫が体調崩し、また、私は耳鼻科へ定期的に通う余裕はなくなった。

夫が他界し、続いて娘が旅立った。

娘の一通りの野辺送りを済ませたある日、息子の言葉が聞き取れないことに気が付いた。

テレビの音量を最高まであげても、テレビの音は聞き取れない。

心の中では、それからの生活について整理をつけたつもりであった。

恐らく、娘のことがストレスになったのであろう。

 

慌てて耳鼻科へ駆け込んだ。

「定期健診を怠ったから。」と医師に叱られた。

リンデロン(副腎ホルモン)を内服して、かなり聴力は、回復した。

日常生活は補聴器の聞こえ方の感度を上げてもらった。

 

幸い1:1の会話はできる。

日常生活は普通にできる。

しかし、マスクをした人の声は、聞き取りにくい。

地域の自治会の役員をしたときも、会議中の声は、ほとんど聞き取れなかった。

いつの間にか、近所の人や、友人との会話をしなくなり、現在話す人は、息子のみ。

テレビも、目の前に座って集中しないと、聞き取れない。

 

それでも、私にはパソコンが友達。

特に、ブログは、私の話したい欲求を通してくれるありがたい存在。

皆さま方の訪問が、私には、本当にうれしい存在。

本当に、本当に、有難うございます。

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桜が咲き始めた。