人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

クリスマスの思い出

昨夜のクリマスイブ、いかがが過ごされましたでしょうか。

ご家族デ、クリスマスパーティの方もおられたことでしょうし、カップルで出かけられた方もいらしたのではないでしょうか。

 

息子と言っても、50歳が目の前、我が家の場合、それぞれが、勝手に食事の準備をして、それぞれ個食です。

私は30分チキンを作って食べました。

美味しい夕食でした。

30分チキンを作ってみた。 - 人生は80から (hatenablog.com)

後、ブロッコリーミニトマトのサラダを添えただけで、糖質制限者の私には、ケーキはありません。

 

子どが小学生のころは、人並に家のなかにクリスマスツリーを飾り、鶏のレッグを焼いたり、ケーキを食べたり、子供たちに、その当時はやったおもちゃをサンタさんのプレゼントとして、渡したものでした。

 

子供が成長してから、クリスマスツリーもその付属品も、すべて処分しました。

クリスマスも遠い思い出になったようです。

 

私が生まれたのは1942年、

太平洋戦争が終わったのは1945年、

我が家も、戦災に会い、家は焼かれ母の実家に疎開していました。

クリスマスどころではなく、毎日の食事を手に入れるのも大変な時期でした。

サツマイモを蒸したものが主食だった時代ですから。

 

小学生になってから、雑誌の口絵で、クリスマスツリーやサンタさんを見たのが最初の記憶と思います。

 

小学校の高学年の時、サンタサンノプレゼントとして、羽子板が、朝、枕元に置かれたことがありました。

もちろん、父が買ってきてくれたこと知っていましたが、知らないふりをして、喜んでもらいました。

 

中学生の時、クリスマスイブに「ローストチキンが食べたい」とねだりました。

テレビはまだない時代、おそらく雑誌の口絵で、見た記憶だと思います。

しかし、母が用意してくれたのは鶏の炊き込みご飯でした。

もちろん、まだスーパーもない時代、鶏肉屋さんで、骨付き鶏肉が高価で買えなかったのでしょう。

「これで、おいしいでしょう。」という母に「我が家で贅沢は言っていけないのだ。」

と思いつつ、「おいしい。おいしい。」と言いつつ、食べた記憶があります。

 

ケーキを普通に食べられるようになったのは、大人になってから。

クリスマスではなかったですが、娘とケーキバイキングに行ったのは。娘が小学高学年の頃でした。

 

今の日本、私が過ごしてきたような高度成長は、もう望めないでしょう。

それでも、私が大人になって、味わえたような生活をだれでも、おくれるようにとのぞみます。

私は、戦後の窮乏期しか知りませんが、私の親の世代は、戦争中もっと大変だったことでしょう。

これからも、クリスマスが普通に祝い続けられるような時代が続きますように。

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値札が付いている(涙)