人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

長く生きて、次々家族を亡くしたけれど、私は、生きている

今週のお題「感謝したいこと」

私の家族が最初に亡くなったのは、私が4歳の時、妹が疫痢でした。

太平洋戦争直後、まだ、抗生物質は、手に入りませんでした。

 

次が、祖父。86歳でした。私は、12歳。

なくなる直前、「医師を呼んでくれ。死亡診断書がいる。」といい、その時、来て下さった、当時のかかりつけ医に看取られて亡くなりました。

死亡診断書は、心不全でした。おそらく、心筋梗塞だったようです。

 

そして、その後、家族は、みんな元気でしたが、私が35歳の時、父が亡くなりました。

父も、なくなる寸前、母に「長いこと、ありがとう。今晩、僕はお陀仏になる。」

といい、母は、「そんなこと、あるものですか。」と返事したそうですが、やはり、父自身が言ったようその夜、なくなりました。

 

次は、兄。体調が悪いということで、会いに行き、脳梗塞の後遺症で苦しんでいました。私、49歳。

その夜、食べ物が、なにもなかったので、兄にニュー麺を作りました。

翌日、兄が、食べやすいものを買って、再訪したのですが、兄はベッドの中で亡くなっていました。

兄の友人の医師が、警察の方と話し合い、心不全と書かれた死亡診断書をいただきました。

 

母は、長生きでした。年を取って、わがやに同居したのですが、認知症になり、我が家で暮らせなくなり、介護施設でお世話になっていました。

その冬、微熱が出て、近くの病院にお世話になっていました。

最期は、尿路感染症抗生物質が効きませんでした。多剤耐性菌でした。母、91歳。

病名は、循環不全。私、65歳。

 

そして、夫。食道がんの再発でした。可哀そうにモルヒネがきれると、痛みに苦しみ、最後は沈静剤に頼っていて、眠るように、息を引き取りました。私74歳。

 

夫が亡くなった年の12月、2週間も連絡ない娘の自宅を訪ねると、娘が亡くなっていました。

救急隊、警察のお世話になり、死体検案書には、虚血性心不全と書かれていました。

虚血心不全とは心筋梗塞の事、まだ、閉経はしていなかった娘、「おかしい」と思い、私のかかりつけ医に質問すると、「おそらく、致死性不整脈であろう。このころ、多くなっているそうだから。」とのことでした。

 

次々と家族を亡くした一生。

今、我が家は癌サバイバーの息子と二人家族です。

 

娘の野辺送りが終わった翌朝、目覚めると、私自身が生きていることが、不思議でした。

天井を眺めながら、「私は、生かされている。与えられた命が、まだ私にはある。」

という思いが、頭に浮かびました。

その時ほど、「自分に命があること」を感謝したことはありません。

与えられた命、この命ある限り毎日を丁寧に生きようと思った次第です。

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この季節にタンポポの絮