明察とは、そのころ流行していた、和算の問題を出した時、その回答が正解であれば、「明察」と書いたところから、つけられた題名であろう。
江戸時代、家綱の治世のころ、使われていた暦(宣明歴→862年に中国から伝わる。日食、月食の予想が、2日もくるっている。)を、自然の動きに合わせて、改暦をした、渋川春海の一生をつづったものだった。
幕府の碁打ちであった安井算哲(後に渋川春海に改名)は、天文学にも興味をもって、毎日太陽の動きを観測していた。
保科正之に目をかけられたが、それからの日々がたいへんなことになった。
まず、元の授時歴を改定した暦をつくりだすが、最初の暦は、経度、緯度の考え方、近日点の考え方が入っておらず、日食の予想が、1日ちがっていて、採用にならなかった。
その当時、どの暦を使うかを決定するのは朝廷であり、碁打ちである、立場で、いろいろな有力者とつながりがあることも、役に立ち、3回目の願出で、貞享歴が採用となった。
この作は、渋川春海の青春時代から、はじまり、彼の妻「えん」との話も心を和ませる。
明治6年に、日本は、太陽暦を採用しているが、この貞明歴は1685年から1755年まで使われている。
渋川春海は、地球儀も作り、地球が丸いことを知っていたというから、素晴らしいものである。
発表されたとき、この本は、本屋大賞に選ばれている。
本屋大賞に選ばれて本は、今まで読んで「はずれ」がなかった。
読書の楽しみを十分に味わえた本である。