人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

娘が亡くなったときの事

娘が、亡くなったのは、3年前。

夫が、5月に亡くなった年の12月のある日曜日の夕方、連絡もなく娘がやってきた。

「忘れ物とりにきたんや」

「晩御飯食べて帰る?」

「今日は、忙しいから、すぐに帰る。また、来るし」

娘は、ある病院で働きながら、一方婚活もしていた。

まさか、これが、最後の会話になるとは、思いもよらなかった。

 

携帯に、時々、娘からメールが来る。

私も、気が向いたら娘にしていた。

それから、1週間、メールをしたが、返事がない。

娘からは、メールをしても返事がないときもある。

冗談で「生きている?」って何度かメールをしたことがある。

今回も、そのメールをしてみた。

まさか、このメールが的を射てているとは思いもよらなった。

しかし、返事はなかった。

 

「おかしい」と思い、電話をかけたが、スマホの電源が切れているようでつながらない。

胸騒ぎがして、娘に会ってから、2週間後くらいだったが、娘の顔を見に出かけた。

娘は、我が家から、バス、電車、バスを乗り継いで、1時間くらいのところに住んでいた。

 

娘は、団地の2DKに住んでいた。

娘の家に入ると、灯かりが付いている。

エアコンも、ついている。

 

茶の間のパソコンの前で娘が倒れていた。

顔と指先が、真っ黒になっていた。

脈拍がない。

「まさか」

信じられない思いだった。

身体の形はエアコンがついていたからか、崩れていなかったし、臭いもなかった。

とにかく119番をした。

やって来てくれた救急隊員さん

「お亡くなりになっていますね。私の管轄外なので、警察に連絡します」。

と言って、帰って行った。

次にやってきた、警察官、私が、娘の遺体を発見した経過を丁寧に聞いてくる。

「死因を調べることが、必要です。娘さんの遺体を専門家のところに運びます」。

娘のの遺体は、運び出され、警察官は帰って行った。

娘の倒れていたところにわずかなシミが残るだけで、誰も居ない娘の小さい部屋が急に広く思えた。

 

まず、息子に連絡した。息子は、「え~~~っ」と大声を出したが、

「とにかく、帰ってこいや。また、警察から、連絡があるだろうし」。

 

その2日後、当日、娘の部屋に来てくれていた、刑事さん(その日も私服だった)が、我が家にやってきた。

「私と娘が親子関係があることを確かめるために、DNA鑑定をします」と言って、私の口の中を綿棒でこすって、その綿棒を持ち帰って行った。

「申し訳ないですが、結果がでるまで、1週間くらいかかります。まだ、正確な結果は出ていませんが、どうも心臓発作を起こしたらしいです。結果が出たら、連絡しますので、葬儀社の準備をしておいてください」とのことだった。

 

手渡された死体検案書に娘の死因は「虚血性心不全」と書かれていた。

言い換えると、心筋梗塞ということになる。

まだ、生理があった娘心筋梗塞は正直納得がいかなかった。

かかりつけ医にこの話をすると、「私が、遺体を見たわけではありませんから、断言はできませんが、おそらく致死性不整脈でしょう。きっと、30秒で意識を失なっていることでしょう」。

苦しまずに、あの世に旅だっただけよかったことにしよう。

 

葬儀社に遺体を持ち込むと、それだけ、料金がアップするというので、警察から直接、火葬場を運んで、直送火葬をすることにした。

娘を見送る親せき、縁者は私と息子しかいない。

葬儀社が用意してくれたお棺に入った娘は、顔の上に黒いナイロンの袋をかけられていた。

わたしは、娘が頑張って手に入れた娘の資格免許状、菊の花を入れ、手元にあった娘のスーツを娘の遺体にかけた。

火葬されているときの茶色の荼毘の煙が、目をつぶると今でも浮かんでくる。

 

それから数日間放心状態だった。

夜眠ると私の布団の周りを誰かがぐるぐる回っているような感覚がある。

目を開けても、誰も居ない。

そして、目をつぶると、また、誰かが布団の周りを歩いている。

 

ある朝、菩提寺から送られてきた仏教関係のパンフレットのを見ていると

「毎日を前向きに生きましょう。そして、充実した毎日を送ることが、亡くなった人への供養になります」と書かれていた。

ふっと思った、

「私は、まだ生きている」

「私の一生、私より先に生きた人を見送るのが役割ではなかったのか」

そうすれば、私のこの世の役割は、終わったといえる。

それなら、「この世に生まれてきてよかったな~」と思えるような生き方をしたい。

私の人生は80歳から始まる!

 

それには、まずやるべきことからしなければ。

まずは、娘の家の片付けから。

しかし、娘の家のごみの日も分からない。

娘の家の冷蔵庫をや洗濯機を自分ひとりで、外に出す事も出来ない。

遺品整理業者に委託することにした。

団地の2DKにひととおりの家具を持っていた娘。

 

金額は13万5千円

で引き受けてくれた。

その日、区役所に娘の死亡届をだし、郵便局に「娘が我が家に帰った」と転居届をだし、団地の退去手続きをした。

団地の退去届は、2週間前に出せるのでもう少し、早く出しておくべきでしたけどね。

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ウォーキングコースに咲いていたグリーンピースの花です。