人生は80から

人生100才時代。健康に豊かに楽しく過ごすには

今まで断捨離とこれから断捨離

お題「断捨離」

一番、最初に断捨離したのは、夫が亡くなった後だった。

息子は、まだ同居していたわけではない。

娘も車で、20分ほど離れたところに住んでいた。

一人暮らしになったときであった。

 

それまで、母の介護、息子の発病と手術、そして、夫のがん手術、寛解後に再発、そして夫も他界した後であった。

家の中は、それまで夫とくらした日々の道具と、思い出が詰まっていた。

当時、私は、74歳。

「多分、10年以上はまだ、生きるであろう。」と考えた。

「自分、一人が、老いに負けないように生きてゆくには、身の回りの物を整理して、自分の生活を立て直さなければならない。」と思った。

 

処分したのは、母と私の着物、夫と私が、義母や母から受けついた骨とう品、そして、夫が趣味で集めていた骨董品。

リサイクル業者にただ同然の値段で売り払った。

箪笥も3棹、売ったり、清掃工場へ、団地のボランティアの方に運んでもらった。

 

押し入れ、天袋まで、つまっていた品々がなくなり、呼吸がしやすくなった。

 

 

その後、娘が他界し、娘の持っていた家具類は、遺品整理業者に、整理してもらったが、我が家にまだ、娘の残したもの、1回目の断捨離の時、未整理だったものが、あった。

 

最初の断捨離の時、全部整理したと思ったけれど、その時の業者が、「この家にいは、まだまだ、リサイクルできるものがありますよ。今度、処分するときも呼んでください。」と言われたけれど、正直、前回、リサイクルして引き取られる値段を考えると、

別の業者に引き取ってもらいたかった。

 

幸い、団地の管理会社が、紹介してくる会社が出張買取に来るという。

娘や私のアクセサリーとか、それなりの値段で売られていった。

我が家に、私の祖母のものであったという、団地サイズの陶器の飾り雛があった。それも、手放した。

値段が付いたという事は、また、その古い飾り雛も、かわいがってくれる人がいるという事であろう。

 

その後、息子と同居した。

また、かなり家具が我が家に増えた。息子の家具は、息子自身が、管理する。

 

そして、また、思った。

少しづつ、断捨離を続けなければと思えた。

狭い家、できるだけ、広く使いたい。

 

 

捨てにくいものばかり残っている。

その時考える、「私の寿命は、後10~20年。私が、先に逝き、息子がその時生き残っておれば、息子の体力で捨てられるか。私が90歳以上生きて、息子が先立った時、その品物を捨てる体力が残っているか。」

思い切って捨てることができるのである。

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スイレン

母の思い出

私が、育った家は、自営業であった。

家族は、祖父、父、母そして、私であった。

家の仕事の中心は祖父で、それを、補佐し、祖父の身の回りの世話をする母は、大変、忙しい毎日であったと思う。

 

母は、もともと、明るい性格であり、発想は柔軟であった。

例えば、私がニンジンが嫌いで食べられなければ、「少しづつ、慣れればいいから」と

食べる量を減らしてくれるような人であった。

そして、洗濯物を干したりするとき、歌を歌っているような人であった。

 

先日、息子と話をしていて、息子が言うのは、

「俺、おばあちゃんが好きじゃなかった。

遊びに行った時、俺の好きなものを、山ほど、出してくれる。

俺のを喜ばそうとしていることは、わかる。

だけど、俺ホウレンソウが嫌いだ。

『頼む、減らしてくれ』と言っても、絶対に減らしてくれなかった。

おばあちゃんの人柄がいい人であることはわかる。

それでも、人のことを聞く人でなかった。」

 

私の記憶と正反対のことを息子は言っている。

そういえば、晩年の母は言い出したことは、絶対に聞かず、必ず、自分の主張を通してきて、何度か私も振り回されたことが、あった。

 

今、考えると、60歳代くらいから、老化が現れ始めたのであろう。

母が、60歳を過ぎたころ、父が亡くなり、それから、20年余り一人暮らしをしてくれた。

 

しかし、80歳後半になり、母の主治医に

認知症が始まっています。一人は困難です。家族と一緒なら、生活はできます。」と言われた。

 

母と同居した。

その頃の我が家、子供卒業し、就職で、私は夫と二人暮らしであった。

ただ、夫はて年退職をし、働いていたのは、私のほうであった。

我が家の経済的で理由で、私が働かなければならない時期であった。

 

社会福祉協議会の人の助けを借りて、私が仕事の日は、母にデイケアに行ってもらうように、した。

母は、私と同居をすれば、「朝食後、私と差し向いで、お茶を飲みながらよもやま話ができる」そんな生活を想像していたようだ。

「〇〇(私のこと)のところへ来るんじゃなかった。〇〇が、こんな忙しい忙しい生活を送っているとは思わなかった。」といわれたけれど、どうしようもなかった。

デイケアから、帰ってきても、母は、夫に気を使う。

母、つらかったことだと思う。

認知症は急激にすすんだ。

 

その後、「故郷の介護施設に空きができた」と連絡があり、母に入居してもらった。

大阪から、香川県まで、私、1週間に1回母に会いに通った。

私を頼ってきて、その気持ちに応じることができなかった自分にできることはそれだけだった。

 

母は、最期は、私が結婚をしていて、自分に孫がいることもわからなくなり、ついに、言葉も発することができず、なくなった。

 

その時、夫は「お母さん(私のこと)よく、お祖母さんの世話をしたな。」と言ってくれたけど、私自身は、母につらい思いをさせたのは自分だとの思いがぬぐえなかった。

 

先日、息子に言われた。

「世の中には、『自分がこうしたい』と思っても、できないことがある。

俺は、仕事もあきらめたし、家族を持つこともあきらめた。」

癌サバイバーで、仕事を捨てざるを得なかった息子、結婚することもあきらめた息子、

息子もどんな思いで、現在まで、生きてきたことか、

 

私は、私に優しかった母が、千の風になって、私や息子の周りに吹いていると考えて生きてゆくことにした。

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ムラサキツユクサ

 

新しいことをするために勉強すること

今週のお題「やる気が出ない」

毎日、ブログを更新していると、書くことがなくなってしまいます。

ブログを始めたときは、旅行も好きだし、働いていたころの話も色々あるし、株式投資もしているし、書くことがなくなるなんて、考えてもいませんでした。

しかし、コロナの感染で、外出することもなくなり、今、一番興味がある「健康にすごす。」というテーマも、リライトに近い記事が多くなっています。

 

過去記事を見ていると、「ブログを書くために、また、興味のあることを勉強しなおすようになった。」と書いた日がありました。

正確な記事にするために、健康記事の数字などは、過去の記憶だけでなく、もとの論文とか講演集を確認はします。

いくつになっても、学生時代に、自分が専攻した範囲のことは、一度読むと、書かれている内容が確認できます。

 

しかし、いくら、自分が興味があるからといっても、若いころに少しもかじったことのない範囲はお手上げです。

 

例えば、パソコンの基礎編。

現在、記事は書けますが、この形をカスタマイズすることなど、夢のまた夢です。

ヘルプを読んでも、何が書かれているのか、わからない始末です。

やる気が出ません。

 

そして、少し前に出口治明氏の「全世界史」の下巻を読み始めましたが、これも挫折!

高校で、世界史はならないましたが、多少、記憶のかけらがあるのは、ヨーロッパ史と中国史、全く記憶の「き」の字がないのが中東、インドの歴史。どのような戦いがあり、誰が勝ったか、全く理解できません。

もう一度、ノートに書きだして、整理をし直さなければと思っているだけです。

やる気が出ません。

 

今まで、生きてきた路線しか、歩めないのかと気が付いた次第です。

 

体が疲れていてできない家事は、一眠りして疲れが取れればすることはできますが、新しいことに一歩踏み出すことはやる気が出ません。

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オキザリス

 

私が住む町でのコロナの現況

現在、私が住んでいる人口3万人の大都市郊外の町でも、コロナ感染者が増えつつあります。

5月15日までの感染者数は、160人。

特に、5月1日~5月15日までに、33人発症。

それ以上の情報は、発表されませんから、感染経路などは、全く不明です。

 

できるだけことは、三密をさけること、外出事マスクをすること、帰宅すると、手洗い、うがいをし、洋服を着替えることだけのようです。

もちろん、基本は外出自粛ですが、食品を買いに出なければなりませんし、毎日飲んでいる薬を処方してもらうためにも、クリニックには、行かなければなりません。

 

町役場から、ワクチン接種の案内が来ました。

スマホやインターネットで予約できる場合は、いいのですが、インターネットが使えない私の友人の場合は、電話予約となります。

指定時間にいつ電話をしても、話中だそうです。

「役場は、毎日電話を受けているから、明日、また、電話をしてください。」といわれますけど、接種案内が来た連休明けから、電話がつながったことはないそうです。

 

医療従事者は介護施設入居者への接種は、もう始まっているそうです。

もっと、早く、能率的に接種する方法はないものでしょうか。

 

株式投資をしていると、来期の見通しとして、経営者側は、「来年3月までには終息の見通し」だから、「業績は、来年までには回復する」という経営者が多いようですが、

来年までに、終息するものでしょうか?

 

1日も早く終息してほしいものですね。

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ビオラ

牛乳と乳製品摂取は高齢者の認知機能が下がるのを防ぐ効果ある。

www.j-milk.jp

国立長寿医療センター研究所疫学研究部栄養疫学室室長 大塚礼先生のミルクセミナー

での講演より、「牛乳・乳製品と認知機能の関連」の話です。

 

愛知県大府市と愛知県東浦町で行われたコホート研究の結果ですが、

60歳代の人568人と、70歳代の人565人を追跡した結果、

 

女性においては、穀類を1日108g食べる量が増えると、認知症になるリスクが40%上がり、牛乳や乳製品を1日128g増えるごとに認知症になるリスクが20%下がります。

穀類をたくさん食べると、脂質を食べる量が減るのがよくない結果を導いていると考えられます。

 

牛乳や乳製品の脂質には、油を構成する脂肪酸の炭素の数が7個以下の短鎖脂肪酸と、炭素の数が8~10個の中鎖脂肪酸、12個以上の長鎖脂肪酸がありますが、

短鎖脂肪酸370mg/日で認知機能が落ちるリスクは20%減り、

中鎖脂肪酸302㎎/日では、16%リスクが減ります。

この量の脂肪酸を取るには、1日牛乳150ml飲めば取れる量だとのことです。

 

牛乳の脂質14.8g/日をとるごとに認知機能が落ちるリスクは20%減るとのことです。

 

この結果で言われている認知機能が落ちるリスクは、認知機能が落ちるのを防ぐという意味であり、認知機能が回復すると意味ではないそうです。

 

それでも、お腹を壊すとか、嫌いで食べられないという人でない限り、牛乳や乳製品を摂取したほうが、認知機能が、落ちないで済みそうです。

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花屋さんのひまわり

 

 

 

お惣菜やお弁当の賞味期限が切れたものを、大量に廃棄処分する制度。

10年前まで、ドラッグストアで働いていた。

私が、はたらいていたドラッグストアは、途中で改装されて、コンビニ併設となった。

 

薬、介護用品、衛生材料、ベビー用品、化粧品など、ドラッグストアで売られるもの以外にも、インスタントラーメンやお弁当、お惣菜、スィーツなども取り扱い始めた。

 

「利益のためには、できるだけのことをする」という姿勢であろう。

会社だから、地域の人の生活に役立ち、利益を上げるのだから、一つの方向性であろう。

 

しかし、商品には賞味期限がある。

毎月、賞味期限をチェックして、期限が過ぎたものを廃棄処分にしたり、返品できるものは返品する。

薬品は、年単位であり、離乳食は、月単位である。

廃棄したり、返品するのに負担はない。

 

しかし、お弁当やお惣菜は、翌日の昼の12時に賞味期限が切れる。

スーパーは、夜9時過ぎに行くと、賞味期限近い物を値引きして売っている。

勤務時間が、夜9時までの時は、帰りにスーパーへ立ち寄り、そんなお惣菜などをよかったものである。

 

コンビニでは、値引き商品を見たことはない。

コンビニ併設ドラッグストアでも、腐敗が起きてはいけないから、当然お弁当やお惣菜の売れ残ったものは、廃棄処分である。

家庭であれば、普通に食べるだろう。

日によっては、45Lゴミ袋一杯、廃棄処分になっているときがある。

 

「この廃棄処分をした、袋は、ごみ置き場に出さないでください。ゴミ回収車の到着少し前に出してください。

野良犬と、住所不定者が、食べに来ますから。」

 

「住所不定者に、0円で渡すと、毎日来るようなり、困ります。」

と店長。

「なぜ値引きして、うらないのですか?」

大量に捨てられる食料品を見ながら私は言った。

「値引きをしたら、もっと売れるでしょうに。」と私。

「値引きをすると、近くに住む人が、値引き時間前に来て、すべての商品を半額以下で売らなければならなくなります。」

 

会社の方針だから、仕方のないことだろう。

会社で働いている以上規定に背くわけにはゆかない。

しかし、この規定、誰が決めたものだろう。

 

世界の食料品の問題といえば、飢えである。

それなのに、大量の食料品を廃棄してしまう制度を。今思い出しても納得がゆかない。

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金鶏草

ボランティアの参加費

この団地、10年ほど前にスーパーが撤退して、豆腐1丁、ネギ1本を買うのに、駅前まで行かなければならなくなった。

バスで片道5分余り、バス停まで、遠い人は10分近く必要である。

駅前のスーパーに行くのに、車の人はいい。

自転車の場合、行きは10分余りで行けるが、帰りは、途中から、坂道が上がれなくり、

自転車を押して、30分以上かかって帰ってくる。

 

そんな状態が数年続いて、自治会の役員を一緒にした数人が発起人になって小さいスーパーを誘致した。

当時「買い物難民をなくそう」との運動があり、経済産業省の事業の1つとして、開店費用の一部が補助されたとのことだった。

 

そのとき、このスーパーが撤退することがないように、高齢者が、このスーパーで買い物をした高齢者の荷物を家まで運ぶボランティア組織ができた。

 

その時、団地の住民の交流を目指して、冬は餅つきや凧あげ、春や秋はフリーマーケットをしたり、幼児連れのお母さんと子供が一緒に遊べる会や、手つくり喫茶などを月1回行ってきた。

さらに、高齢者の家の電球が切れたり、ふすまの張替えもしたり、パソコンのウイルスソフト導入とか、お助けもして来た。

 

この組織も、独立した組織であったが、途中で、町のボランティア組織の下部組織になった。

もし「活動中に事故にあったら、どうするか」という事が、出発点だと聞いた。

会員一人、一人に傷害保険を掛けるのだそうである。

 

ところが、最初出発の時に、広く団地全体から、この組織に会員を募集したので、サービスを受ける側の人たちが、たくさん会員になっていた。

 

「活動していない人に保険をかけるわけにはいかない」

しかし、「活動しないなら、会員を辞めてください。」とも言えない。

ボランティア参加費を徴収にすることになった。

しかし、活動をしていない人とともに、ボランティアをして会費を徴収することに反対の有能な人々が、この組織を辞めていった。

 

わたしも、家の大型家具を清掃工場に送るときとか、換気扇の付け替え、ベランダに蜂の巣ができたとき、助けてもらっている。

週1回、私より、高齢者の人のところへ、自転車に乗って買い物の荷物を運んでいるから、参加費を払いつつ、この会に属している。

 

この会費、その時必要であったと思う。

しかし、毎年徴収するのどうだろうかと疑問に思う。

 

私も、荷物運びができなくなったときは、やはり、退会するしかないだろう。

いい人間関係なんだが。

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6日のアヤメ、10日の菊、そして、母の日の翌日のカーネーション